塩が生む独特の釉調

『塩釉』(えんゆう)は、釉薬の代わりに塩を使う特殊な施釉技法です。

塩釉は素焼きの作品を高温焼成し、窯の外部より食塩を投入して作られます。
高温となる窯の内部では、投入した食塩が蒸気化します。これが素地に含まれるケイ酸、アルミナと化合し、ガラス状の釉膜となって作品を覆い、特有の美しい艶が生まれます。

塩釉は、13世紀のドイツで生まれましたが、現在はほとんど廃れており、この技法に取り組む窯元は、世界的にも珍しくなりました。
一の瀬焼 丸田窯では、50年以上この技法に取り組み続け、新しい色合いを作り出して来ました。

独特の釉調を持つ塩釉陶器を求め、現在では全国からお客さまが足を運んで下さるようになりました。また近年では、海外の愛陶家の間でも人気が高まってきています。


塩釉の歴史

塩釉の技法は、13世紀にドイツのライン川流域で発祥しました。15世紀に入ると、ヘール=グレンツハウゼンやケルンなどの各都市で盛んに塩釉陶器作りが行われました。

塩釉陶器は、液体の貯蔵に適しています。弊窯の窯元・丸田巧は、かつて塩釉陶器の視察でドイツを訪れた際、この技法で作られた中世のビールマグやジョッキなどに触れ、「塩釉陶器は庶民の日用雑器」として親しまれていたのを実感しました。

素朴な風合いに加え、やきもの自体の強度が上がるこの技法は徐々に広がりを見せ、17世紀にイギリスへと渡ります。ロンドンをはじめダービーシャー州、ノッティンガムシャー州などの都市でも高品質な塩釉陶器が生産されるようになりました。

その後、塩釉陶器はアメリカ、オーストラリアにも伝播。1950年代に入ると、日本にも民芸運動を通じてその技術がもたらされます。そして、『一の瀬焼 丸田窯』のルーツである黒牟田焼 丸田窯(佐賀県武雄市)に、その技法が伝わりました。


『塩釉』技法の難しさと希少価値

独特の釉調を生み、技法としてたいへん魅力のある塩釉ですが、取り組む陶芸家が極めて少ない理由がいくつかあります。
一つ目は、何といっても製品完成率の低さとコストの問題が挙げられます。

塩約陶器は完成率がとても低く、窯に並べる作品の配置、焼成温度、食塩投入の量とタイミングなど、さまざまな想定をしていても、技法の性質上、窯内部に付いた釉が垂れて作品に付着するほか、作品と棚板との融着が避けられません。

融着した作品と棚とを上手く取り外せるかどうかは、一種の「賭け」のようなもので、たとえ満足いく焼き上がりの作品が出来ても、取り外しの際に割れが出て商品にならないケースも珍しくありません。

二つ目は、塩釉は窯を非常に痛めます。ですので、塩釉専用の窯が必要になってきます。電気窯に塩を投入すると電熱線などが傷み、あっという間に壊れてしまいます。
その他にも、焼成時に出る排ガスの影響から、制作を行う場合は郊外に窯を構える必要があるなど、塩釉陶器の制作はハードルが高くなります。

これらの理由から、どうしても塩釉の作品は高価になってしまいますが、塩釉独自の引き締まった艶のある釉調は大きな魅力があり、愛陶家の間で親しまれています。


幅広い塩釉作品を皆さまへ

一の瀬焼 丸田窯は、半世紀以上にわたって数々の塩釉作品を生み出してきました。

塩釉の技法で陶器を生産している陶芸家は世界的に見ても少なく、この技法で作陶に取り組む窯元はわずかです。塩釉発祥の地であるドイツにおいても、そのほとんどが廃れている状況です。
現状では、イギリスやフランス、アメリカ、そして日本など、一部の国々において、一握りの陶芸家や愛好家らが、この技法を用いて作陶を行っています。

このような中で、長きにわたり塩釉の大作に挑み続け、技法に磨きをかけている弊窯のような存在は世界的に見ても珍しく、たいへん貴重だと言われています。

弊窯では、ふだん使いの日用食器をはじめ、花器、茶道具に至るまで、幅広い塩釉作品をご覧いただけます。
塩釉を受け継いで50余年、今ではたいへん珍しい独特の釉調に磨きをかけた作品の数々を、ぜひ手にとってご覧下いただければ幸いです。


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